2024年9月8日 スコットランド教会新カテキズム(7)

わたしたちの祈りの規準は何ですか。

主の祈りと呼ばれる、祈りの模範です。

 

 イエスさまは、わたしたちに、お祈りのもはんをおしえてくださいました。

 それは、ちょうど、ことばやもじをおぼえるときに、きいたことばやみたもじを、くりかえしくちにだして、かきながら、おぼえていくことににています。イエスさまがおしえてくださったおいのりのことばのとおりに、おぼえて、おいのりをすることからはじめながら、こころからおいのりをささげることができるようにもとめていくものです。

 イエスさまは、このようにおしえてくださいました。

 「てんにおられるちちであるかみさま、あなたのきよいおなまえがあがめられますように。あなたのくにがきますように。あなたのこころがてんでおこなわれているように、ちのうでもおこなわれますように。わたしたちのきょうのたべものをあたえてください。わたしたちにおいめのあるひとをゆるしたように、わたしたちのおいめをゆるしてください。わたしたちをこころみにあわせないで、わるいものからすくいだしてください。くにとちからとさかえとは、かぎりなく、あなたのものだからです。アーメン。」

 わたしたちは、イエスさまが、わたしたちのみがわりに、じゅうじかのうえでごじしんのいのちをささげてくださったことをしんじます。そのとき、わたしたちは、イエスさまが、ごじしんをこのちのうえにつかわされた、てんのおとうさまをよぶように、わたしたちも、イエスさまのおなまえによって、てんのおとうさま、とよんで、おいのりします。

 また、イエスさまがわたしたちにおしえてくだったこのおいのりは、「しゅのいのり」とよばれて、せかいじゅうのきょうかいでおぼえられて、おいのりがささげられます。それは、わたしたちのすくいぬし、「しゅ」でいます、イエスさまが、わたしたちのためにおしえてくださったおいのり、わたしたちの「しゅのいのり」だからです。

 わたしたちのすくいぬし、しゅイエスさま、あなたがたわたしたちのためにおしえてくださった「しゅのいのり」をいのります。アーメン。     

 

2024年9月1日 スコットランド教会新カテキズム(6)

わたしたちの従順の規準は何ですか。

十戒と呼ばれる、十の言葉です。

 

 しゅであるかみさまは、エジプトからごじしんのたみ、イスラエルのひとびとをすくいだすために、モーセをとおして、ひとつひとつのめいれいをあたえてくださいました。

 そして、しゅであるかみさまのめいれいにしたがって、モーセとイスラエルのひとびとは、くるしいエジプトのどれいのせいかつからすくわれて、シナイのやまにみちびかれました。

 このシナイのやまで、しゅなるかみさまは、モーセをとおして、じっかいとよばれる、とおのことばをあたえてくださいました。

 このとおのことばで、しゅなるかみさまは、このように、イスラエルのひとびとに、めいじ、いましめて、いわれました。

 1 あなたには、わたしのかおのまえに、ほかのかみがみがあってはいけません。2 あなたは、じぶんのために、きざんだぞうをつくってはいけません。3 あなたは、あなたのかみ、しゅのなを、みだりにとなえてはいけません。4 あんそくびをおぼえて、これをせいとしなさい。5 あなたのおとうさんとおかあさんをうやまいなさい。6 あなたはころしてはいけません。7 あなたはけっこんをけがすこと(むずかしいことばで、かんいん)をしてはいけません。8 あなたはぬすんではいけません。9 あなたはとなりびとに、うそ(むずかしいことばで、ぎしょう)をいってはいけません。10 あなたはとなりびとのいえをほしがってはいけません。

 しゅなるかみさまは、このとおのことばを、こころからよろこんでまもることができるように、あいするひとりご、イエスさまのいのちを、めぐみによって、しんじるひとたちにあたえてくださいました。とおのことばは、まっすぐで、こころによろこびをあたえます。「どうか、わたしのくちのことば、こころのおもいが、いつも、イエスさまをよろこび、たたえるものでありますように。」といのりましょう。     

 イエスさま、わたしたちのくちのことばと、こころのおもいとが、いつも、あなたをよろこび、たたえるものでありますように。アーメン。     

 

2024年8月25日 スコットランド教会新カテキズム(5)

わたしたちの信仰の規準(大原則)は何ですか。

神さまのみことばです。その要約は、使徒信条と呼ばれる、信仰の箇条です。

 

 イエスさまは、じゅうじかのうえに、ごじしんのささげられ、ししゃのなかからみっかめにふっかつされました。そして、イエスさまは、てんにあげられるひをまえにして、でしたちに、イエスさまはこういわれました。

 「わたしは、てんとちにあるすべてのものをおさめるけんいを、おとうさまからあたえられています。だから、あなたがたはでていって、すべてのひとびとをわたしにしたがうものとするようにくんれんしなさい。かれらに、ちちであるかみさまと、こであるかみさま(イエスさま)とせいれいであるかみさまの、ひとつのおなまえにおいてせんれいをさずけなさい。わたしが、あなたがたにめいじておいたことをすべてまもるようにおしえなさい。わたしはよのおわりまで、いつもあなたがたといっしょにいます。」

 イエスさまが、いつもわたしたちといっしょにおられることは、とてもこころづよいことです。どんなことがあっても、わたしたちは、イエスさまをしんじて、みことばにききしたがい、おいのりをささげ、すべてのことをかんしゃしてあゆんでいきます。

 イエスさまが、でしたちにおしてくださったことは、きょうかいのれきしのなかでまとめられて、さんびかでうたわれ、せんれいをうけるときには、しゅのいのりについてたしかめるようになりました。そして、「しとしんじょう」というふるいしんじょうにおいて、じゅうじかにつけられた、イエスさまが、かみさまのやくそくされた、ほんとうのすくいぬしであること、イエスさまをつかわされたちちであるかみさまのこと、そして、イエスさまがやくそくされた、せいれいであるかみさまのことを、たいせつにして、きょうかいで、こくはくするようになりました。わたしたちも、せいしょのみことばと、しとしんじょうをよくまなび、じゅうじかにつけられたイエスさまを、こくはくしましょう。

 イエスさま、あなたがじゅうじかにつけられたことを、みことばとしとしんじょうにまなび、ほんとうのあいをこくはくします。アーメン。  

 

2024年8月18日 スコットランド教会新カテキズム(4)

主なる神さまに仕えることには、いくつの原則がありますか。

4つです。信仰と従順と祈り、そして感謝です。

 

 しゅなるかみさまが、てんとちとうみとそのなかにあるすべてのものつくられたことをしんじ、わたしたちにんげんが、つちのちりからつくられたことをしんじるとき、わたしたちは、せかいのすべてのものが、かみさまのえいこうをたたえ、よろこぶためにつくられたことをかんしゃするようにみちびかれます。

 しゅなるかみさまにいつもまもられ、みちびかれていることをかんしゃして、かみさまにあいされて、ひとびとのためにつかえたダビデは、このように、しゅなるかみさまをこくはくしました。

 「しゅなるかみさまは、わたしのひかりです。わたしのすくいです。わたしはだれをおそれるでしょう。しゅなるかみさまは、わたしのいのちのとりでです。わたしはだれのまえに、こわがることがあるでしょうか。」

 「ひとつのことを、しゅなるかみさまにねがい、それだけをもとます。いのちのあるかぎり、しゅなるかみさまのいえにすむことを。しゅなるかみさまをあおぎ、のぞんで、よろこびをえて、しゅなるかみさまのすまわれるみやで、あさをむかえることを。」

 いま、わたしたちは、きょうかいでれいはいをささげています。きょうかいは、たてもののことではなく、しゅなるかみさまにみちびかれて、イエスさまをすくいぬしをしんじているひとたちのことです。そして、きょうかいは、いつもイエスさまがいっしょにおられる「かみさまのいえ」です。

 わたしたちは、いつもイエスさまをしんじて、みことばにしがたって、おいのりをささげるとき、イエスさまがあたえてくださったいのちとあいとすくいをかんしゃするようにみちびかれます。そして、じゅうじかにかけられ、みっかめにふっかつされたイエスさまが、ふたたびこられるひを、みことばにききしたがい、いのり、まちのぞむのです。

 イエスさま、あなたをしんじ、みことばにききしたがい、いのり、あなたのいのちとあいとすくいをよろこび、かんしゃします。アーメン。  

 

2024年8月11日 スコットランド教会新カテキズム(3)

人間は何のために造られたのですか。

主なる神さまに仕えるためです。

 

 しゅなるかみさまは、つちのちりからにんげんをつくられました。かみさまのいのちによって、いかされているにんげんは、かみさまにつかえるためにつくられました。

 かみさまにつかえるとは、かみさまのえいこうをたたえ、よろこぶことです。つみがにんげんのなかにはいってからは、にんげんは、ただしくかみさまにつかえることができなくなりました。けれども、かみさまは、ひとりごイエスさまと、そのいのちをわたしたちのために、おあたえくださり、イエスさまのいのちによって、にんげんがすくわれていきるとき、かみさまのえいこうをたたえ、よろこんで、かみさまにつかえることができるようにみちびいてくださいます。

 むかし、バビロンというくにで、ほんとうのかみさまをおぼえて、れいはいをささげていたひとびとは、にんげんがなんのためにつくられたのかを、こころにふかくおぼえて、しゅなるかみさまをさんびしました。そして、「これからののちの、こどもたちのために、このことをかきしるさなければならない」といってこのようにかきしるしました。「しゅなるかみさまをさんびするために、ひとびとは、つくられた」

 イエスさまは、わたしたちとおなじにんげんとなられ、このよのなかにいきてくださいました。そして、イエスさまは、このようにいわれました。「ひとのこは、つかえられるためではなく、つかえるために、またおおくのひとびとの、つみのみがわりとなって、そのつみをあがなうために、じぶんのいのちをささげてすくうために、きたのです」。

 この「ひとのこ」とは、イエスさまごじしんのことです。イエスさまが、じゅうじかのしにむかってあゆまれたみちは、ひとびとにつかえるため、それによって、かみさまのえいこうをたたえ、よろこぶためです。かみさまにつかえることは、れいはいからはじまります。いつもかみさまをしんじて、れいはいをみんなといっしょに、こころをあわせてささげ、かみさまのあいされているひとびとのため、いのりましょう。

 しゅなるかみさま、あなたのみなをさんびします。いつもあなたにつかえるためにつくられたことをこころにとめてあゆみます。アーメン。  

 

2024年8月4日 スコットランド教会新カテキズム(2)

主なる神さまは、人間を何から造られましたか。

土の塵から造られました。

 しゅなるかみさまは、つちのちり(アダム)でにんげん(アダム)をかたちづくり、そのはなにいのちのいきをふきいれられました。にんげんはこうしていきるものとなりました。

 しゅなるかみさまは、どうぶつも、にんげんも、いきるものとしてつくられました。けれども、にんげんには、ごじしんのいのちのいきをふきいれらました。にんげんには、とくべつに、かみさまのいのちとれいがあたえられました。ですから、にんげんは、どうぶつとはちがって、かみさまのことをおもいめぐらぐことができます。また、にんげんは、しゅなるかみさまから、じぶんがつくられたつちのちりをたがやすようにめいじられました。

 しゅなるかみさまが、つちのちりからつくられたことをしんじるひとは、このようにいのりをささげました。

 「しゅよ、あなたは、いつまでも、えいえんにすむところです。やまがつくられるまえ、あなたがまだ、せかいをつくられなかったとき、あなたはえいえんに、いつまでも、かみさまです。あなたは、にんげんをちにかえらせていわれます。「いのちよ、わたしのもとにもどれ」と。」

 わたしたちにんげんは、しぬと、みんな、つちのちりにかえります。そのようなにんげんに、イエスさまは、えいえんのひとりごでありながら、なってくださいました。それは、つみがにんげんにはいったために、イエスさまが、みがわりとなって、じゅうじかのうえにしんでくださるためです。

 イエスさまは、しんで、おはかにほうむられましたが、つちのちりにかえることなく、みっかめにふっかつされました。そして、そのふっかつのからだをもって、てんにあげられました。きょう、イエスさまのふっかつをしんじる、わたしたちのからだは、しんでつちのちりにかえっても、イエスさまとむすばれています。そして、わたしちのたましいは、いつまでもイエスさまをほめたたえ、ふっかつのひをまちます。

天のかみさま、いのちはあなたのものです。あなたのいのちのいきが、このつちのうつわにあたえられていることを、しんじます。アーメン。  

 

2024年7月28日 スコットランド教会新カテキズム(1)

天と地と海とそこにあるすべてのものを造られた方は、どなたですか。

主なる神さまです。

 わたしたちは、てんとちとうみとそこにあるすべてのものをつくられた、ただおひとりのかみさま、しゅなるかみさまをれいはいしています。それは、このおかただけが、てんとちとうみとそこにあるすべてのものつくり、おさめ、みちびいておられるおかたであるからです。めにみえるものも、みえないものも、すべてのものは、しゅなるかみさまのえいこうが、ほめたたえられるためにつくられました。

 むかし、まことのよげんしゃ、イザヤは、このようにつげました。「てんよ、よろこびうたえ、しゅなるかみさまのなさったことを。ちのそこよ、よろこびのさけびをあげよ。やまやまも、もりと、そのなかのすべてのきよ、こえをはなってうたえ。しゅなるかみさまは、ヤコブをあがない、イスラエルによってかがやきをあらわされた」。

 このように、わたしたちのささげるれいはいは、かみさまのつくられたすべてのものといっしょにささげるものです。それは、かみさまのひとりご、イエスさまによって、つみからすくわれたひとたちによって、ささげられるれいはいは、にんげんのつみによって、くるしんでいる、てんとちとうみとそこにあるすべてものが、すくわれるのぞみをこくはくしています。

 じゅうじかにつけられたイエスさまが、ふっかつしたことをひとびとにつたえたペトロとヨハネは、エルサレムで、ひとびとをだいひょうするぎいんや、ちょうろうたちにいいました。「ほかのだれによっても、すくいは、えられません。わたしたちをすくうことができるおなまえは、てんのしたで、だれにもあたえられていません」。ペトロとヨハネから、このことをきいたひとたちは、こころをひとつにして、かみさまにむかって、こえをあげておいのりしました。「しゅなるかみさま、あなたはてんとちとうみと、そこにあるすべてのものをつくられたかたです。しゅ、イエスさま、どうか、どんなこともこわがらないで、あなたのすくいのことばをかたることができるようにしてください。」ひとびとは、せいれいにみたされて、かみさまのことばをかたりだしました。

 てんのかみさま、あなたがつくられた、てんとちとうみとそこにあるすべてのものが、イエスさまのすくいをよろこびますように。アーメン 

 

2024年7月21日 子どもと親のカテキズム問97

「アーメン」とは、どういう意味ですか。

「アーメン」とは、「真実です」という意味です。私たちは、神さまが私たちの祈りをイエスさまの真実によって受けとめて、確かに聞き入れてくださることを信頼して、「アーメン」と唱えます。

 イエスさまがこられるしばらくまえのことです。イスラエルのひとびとが、つれていかれたバビロンから、70ねんたって、エルサレムにもどってきました。そこで、しんでんをふたたびたてようとしたとき、ひとびとは、みずのもんのまえにあるひろばにあつまって、ひとりのひとのようになりました。ひとびとは、エズラに、しゅなるかみさまが、イスラエルのひとびとにあたえられた、モーセのりっぽうのしょ、せいしょをもってくるようにもとめました。

 エズラは、りっぽうのしょ、せいしょをもってきて、よがあけるころ、あさから、ひるまで、よみあげました。ひとびとは、ひとつのこころで、りっぽうのしょ、せいしょにみみをかたむけました。エズラは、ひとびとよりたかいところにいたので、みんながみまもるなかで、りっぽうのしょをひらきました。エズラが、せいしょをひらくと、ひとびとはたちあがった。エズラがおおいなるかみさま、「しゅ」をたたえると、ひとびとは、みんな、りょうてをあげて、「アーメン、アーメン」と、こころからこたえて、ひざまずき、かおをちにふせて、「しゅ」であるかみさまをれいはいしました。

 エズラといっしょに、イエシュア、バ二、シェレブヤ、ヤミン、アクブ、シェベタイ、ホディア、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、ヨザバド、ペラヤというレビびとが、りっぽうをひとびとにせつめいしました。ひとびとは、ずっとそのあいだたってきいいていました。レビびとたちは、かみさまのりっぽうのしょを、きいているひとびとのことばでやくし、かいてあることをあきらかにしながらよみあげたので、ひとびとは、きいたことがよくわかりました。 

 イエスさまのことばをきくとき、こころから「アーメン」とこたえられるように、せいれいがみちびいてくださいます。また、おいのりをささげるとき、イエスさまのじゅうじかのあがないをしんじ、こころから「アーメン」「あなたのすくいは、ほんとうです」といのりましょう。

 てんのおとうさま、イエスさまのいのちをあたえてくださり、かんしゃします。あなたのえいこうをほめたたえて、いのります。アーメン 

 

2024年7月14日 子どもと親のカテキズム問96

「国とちからと栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり」という結びの言葉は、何を意味していますか。

祈りが確かに聞かれる理由は、いつも良いものだけを与えてくださる恵みの神さまにこそあります。ですから、神さまの子どもである私たちは、喜びと感謝をもって神さまの栄光をほめたたえるのです。

 イエスさまは、「てんのくに」について、このようにおしえてくださいました。「てんのくには、からしだねににています。ひとがこれをとってはたけにまくと、どんなたねよりもちいさいのに、そだっておおきくなると、どんなやさいよりもおおきくなり、そらのとりがきてえだにすをつくるほどのきになります。」

 また、ひとりのこどもをよびよせて、でしたちのなかにたたせていわれました。「アーメン、あなたがたにいいます。こころをいれかえて、おさないこどものようにならなければ、てんのくににはいるこはできません。このおさないこどものように、じぶんをひくくするものが、てんのくにでいちばんえらいのです。」

 このように、イエスさまがおしられた「てんのくに」は、ひとびとが、イエスさまをしんじて、いきることをもとめるものです。わたしたちのつみのために、イエスさまが、じゅうじかのうえにしんでくださったこと、そして、せいしょにかいてあるとおり、みっかめにふっかつされ、てんにあげられ、いまもいきておられること、そして、もういちど、てんにあげられたのとおなじすがたで、おいでなることをしんじるとき、わたしたちのおいのりは、いつも、イエスさまのおさめておられる「てんのくに」のなかできかれ、そのとおりになるのです。

 イエスさまのことばには、ちからがあります。それは、どんなにちいさいこどもにも、おとなにも、そして、せかいじゅうのひとびとに、つたえられ、しんじて、ききしたがうとき、すくいのめぐみをあたえるものです。そして、わたしたちのこころは、いつも、イエスさまのえいこうをさんびするようにかえられます。あいするひとりごイエスさまをあたえてくださった、てんのおとうさまをよび、イエスさまのめぐみによって、いつもすすんで、おいのりをささげましょう。

 てんのおとうさま、イエスさまのめぐみによっていきるあなたのことしくださった、あなたのちからとえいこうをほめたたえます。アーメン 

 

2024年7月7日 子どもと親のカテキズム問95

「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」では、何を祈り求めるのですか。

今も弱さをもっている私たちは、神さまのあわれみがなければ、一瞬でも神さまの子どもとしての祝福に生きることはできません。ですから罪と悪魔の支配から救い出され、聖霊の力によって勝利を得ることができるように祈り求めます。

 イエスさまが、ヨルダンがわで、ひとびとといっしょに、せんれいをうけられたあとのことです。イエスさまは、せいれいにみちて、ヨルダンがわからかえってくると、40にちのあいだ、あれのであくまのゆうわくをうけました。そのあいだ、ずっと、なにもたべなかったので、とてもおなかがすきました。すると、あくまは、イエスさまにいいました。「もし、あなたがたかみさまのこなら、このいしにパンになれとめいじなさい」。イエスさまはこたえていわれました。「『ひとは、パンだけでいきるものではありません』と、せいしょにかいてあります」。それから、あくまは、イエスさまをたかいところにつれていき、またたくまに、せかいのすべてのくにぐにをみていいました。「これらのくにぐにのちからととみを、ぜんぶ、あなたにあげましょう。もし、あなたが、おれさまのまえにひざまずくなら、これをぜんぶあなたものにしましょう。」イエスさまは、こたえていわれました。「『主であるあなたのかみさまをれいはいし、ただかみさまにだけをあいしなさい』と、せいしょにかいてあります」。するとあくまは、イエスさまを、エルサレムにつれていき、しんでんでいちばんたかいところにたたせていいました。「あなたがかみさのこであるなら、ここからしたへとびおりてみなさい。せいしょに『かみさまはあなたのために、みつかいにめいじて、あなたをまもります』とかいてあります。」イエスさまはこたえていわれました。「せいしょは、『しゅなるかみさまをためしてはいけません』」といっています。あくまは、とうとう、イエスさまをゆうわくすることをあきらめて、イエスさまから、はなれました。

 イエスさまは、じゅうじかにつけられるために、あくまのゆうわくをしりぞけました。それは、つみびとのみがわりになるみちでした。あくまは、つみびとをすくうことができません。イエスさまのちからによって、あくまとつみのちからにうちかって、いのりつづけましょう。

てんにおられるイエスさま、じゅうじかのすくいのことばをしんじ、どんなときにも、あくまのゆうわくにうちかって、いのります。アーメン

 

2024年6月30日 子どもと親のカテキズム問94

「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたま え」では、何を祈り求めるのですか。

私たちが、イエスさまの十字架の恵みによって罪が赦されていることをいつも思い起こし、 他の人たちの罪をも赦すことができるようにと祈り求めます。さらに自分自身の罪をますま す深く悲しみ、罪の赦しを祈り求めます。

 

 イエスさまが、ベタニアからエルサレムへむかわれたときのことで す。イエスさまは、おなかがすきました。イエスさまは、とおくから、 いっぱいはっぱのしげったいちじくのきをみて、たべられるいちじくの みはなっていないか、とちかづきました。けれども、ちかよってみる と、はっぱのほかには、なにもありませんでした。また、いちじくのみ がなるきせつではなかったのです。そこで、イエスさまは、いちじくの きにむかっていわれました。「いまから、ずっと、あなたのみをたべる ものがないように」。それから、あさはやく、おなじみちをとおってい ると、でしたちは、イエスさまがちかよられたいちじくのきが、ねっこ からかれているのをみました。ペトロは、イエスさまのことばをおもい だしていいました。「せんせい、みてください。あなたが、のろって、 みがならないようにとめいじられた、いちじくのきがかれています。」

 いちじくのきは、いのりのきをしめしています。かみさまをよんでい ても、こころからかみさまのちからをしんじていなければ、ひとのめに は、おいのりをしているようにみえても、ぜんぜん、よいみのをむすん でいないのです。そうならないために、たいせつなことは、かみさまの ちからをしんじておいのりすることです。 イエスさまは、「あなたがたにいいます。なんでもいのりもとめるこ とは、すでにうけとったとしんじなさい。すると、そのとおりになりま す。また、たっておいのりするとき、だれかをうらんでいるなら、ゆる しなさい。そうすれば、てんにおられるあながたのおとうさまも、あな たがたのあやまちをゆるしてくださいます。」とやくそくしてください ました。

 わたしたちは、こころから、ほかのひとたちのあやまちや、つ みをゆるすことができるようにかえられます。いちじくのきが、イエス さまのことばひとつでかれたのとはんたいに、イエスさまのことばをし んじているのとき、つみのこころは、ひとをゆるすみをむすびます。

 

てんのおとうさま、ひとのつみをゆるすために、じゅうじかにかけられ た、イエスさまのことばとちからをしんじておいのりします。アーメン

2024年6月23日 子どもと親のカテキズム問93

「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」では、何を祈り求めるのですか。

神さまは、すべての良いものの泉です。神さまは子どもたちに必要なすべてのものを与えて、楽しむことができるように祝福してくださいます。ですから、私たちは、この恵みの神さまに日々より頼んで歩むことができるように祈り求めます。

 イエスさまは、でしたちと、おおくのひとびとに、こういわれました。「そらのとりをみなさい。たねのまかず、かりいれもせず、くらにおさめもしません。けれども、あなたがたのてんのおとうさまは、とりをやしなっておられます。あなたがたは、とりよりもはるかによいものではありませんか。」かみさまは、てんとちのうえにある、すべてのよいものをおつくりなりました。たいようとつきも、そのひかりのもとでそだつ、くさも、はなも、いきものも、そして、にんげんも、かみさまにつくられたよいものです。そして、かみさまが、いのちをあたえられたものぜんぶをまもり、やしなっておられます。

 また、イエスさまは、あるとき、サマリヤのおんなのひとに、いどのそばでこういわれました。「このみずをのむひとはだれでもまたかわきます。しかし、わたしがあたえるみずをのむひとはけっしてかわきません。わたしがあたえるみずはそのひとのうちでいずみとなり、えいえんのいのちにいたるみずがわきでるのです。」

 はじめのひと、アダムが、かみさまのしゅくふくのなかで、かみさまのめいれいにそむいたために、つみがにんげんのこころにはいりました。つみのこころのままでは、かみさまのつくられたよきものを、よろこぶことができません。ですから、イエスさまが、あたえてくださる、すくいのみずをのまなければなりません。このみずは、いのちのことばです。このみずをのむことによって、わたしたちのこころは、かみさまがあたえてくださる、しゅくふくとつくられたものを、よろこんでたのしみ、じぶんと、となりびとと、せかいのひとびとのこころとからだを、たいせつにするようにみちびかれます。

 いつも、イエスさまに、いのちのことばをもとめつつ、こころとからだをたいせつにして、おいのりをささげながら、あゆみましょう。

 てんのおとうさま、わたしたちのこころとからだをやしなう、のみものとたべもの、いのちのことばを、きょうあたえてください。アーメン

 

2024年6月16日 子どもと親のカテキズム問92

「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」では、何を祈り求めるのですか。

天においては神さまの御心が完全に支配しているように、地においても、すべてのことにおいて神さまの御心が支配するように祈り求めます。また、神さまの子どもである私たちは、御心に聞き従い、喜んで神さまのお役に立てるよう祈ります。

 イエスさまが、ガリラヤのあちこちのまちで、ひとびとをすくうことばをのべつたえていたときのことです。せんれいしゃヨハネはろうやのなかで、イエスさまがしておられることをきいて、じぶんのでしたちをつかわして、いいました。「わたしがつたえた、きたるべきかたは、あなたですか」。イエスさまは、こたえていわれました。「いって、あなたがたがみたり、きいたり、していることをヨハネにつたえなさい。めのみえないひとがみえるようになり、あしのふじゆうなひとがあるくようになり、ひふのいたんだひとがきよめられ、みみのきこえないひとがきこえ、しんだひとがいきかえり、まずしいひとびとが、よきおとずれをきかされています。わたしにつまずかないひとは、さいわいです。」

 それから、イエスさまは、こういわれました。「せんれいしゃよはねが、わたしのことをつたえはじめてから、いままで、てんのくには、はげしくおそわれています。」。それから、イエスさまは、いわれました。「てんちのしゅでいます、おとうさま、あなたをほめたたえます。あなたのさばきを、ちえあるひとや、かしこいひとにはかくして、ちいさいこどものようなものにおしめしになりました。そうです。おとうさま、これは、あなたがよろこばれることです。おとうさまが、すべてのことをわたしにあたえくださいました。」「すべておもいにもつをせおってくろうしているひとは、わたしのそばにきなさい。あなたがたにやすみをあたえます。わたしのおっているくびきをおって、わたしにまなびなさい。わたしは、やさしくおだやかで、へりくだったものだから。そうすれば、あなたがたのたましいに、やすみがあたえられます。」

 てんのかみさまのみこころは、たましいのやすみをあたえてくださることです。こころからイエスさまをしんじてあゆみましょう。

てんにおられるイエスさま、あなたをしんじて、わたしたちのこころとたましいに、きよいやすみがあたえられますように。アーメン

 

2024年6月9日 子どもと親のカテキズム

問91 「み国をきたらせたまえ」では、何を祈り求めるのですか。

神さまの家族としての教会と私たち一人一人が、御言葉と聖霊によって支配されるよ うに祈り求めます。また、そのご支配が、福音を宣べ伝えることと愛の働きを通して 広げられ、イエスさまが再び来られる時に、完成されるように祈ります。

むかし、ダニエルが、バビロンのくにで、だいじんとしておうさ さまにつかえていたときのことです。ダニエルをねたんでいた、ほ かのだいじんやそうとくは、ダニエルをおとしいれようと、なにか ないかと、「ダニエルをおとしいれるには、そのしんじているかみ さまのきまりごとについて、いいがかりをつけるしかあるまい」と はなしあいました。そして、おうさまにいいました。「ダレイオス おうさまが、いつまでもいきながらえますように。だいじんたちで はなしあって、この30にちのあいだ、おうさまをさしおいて、ほ かのにんげんや、かみさまにねがいごとをするものは、だれであ れ、ライオンのどうくつになげこまれる、というめいれいをだしま しょう」。おうさまは、このめいれいに、じぶんのなまえをサイン して、めいれいが、くにじゅうのひとびとにしらされました。 ダニエルは、おうさまのめいれいをしっていましたが、いつもの ように、いえにかえると、エルサレムにむかってひらかれたまどの そばにひざまづいて、まいにち、さんどのおいのりとさんびを、じ ぶんのしんじるかみさまにささげました。やくにんたちは、ダニエ ルが、おうさまではないかみさまにおいのりしているのをみて、お うさまにうったえ、めいれいにそむいているので、ダニエルをライ オンのどうくつになげこまれました。でも、おうさまは、ダニエル にいいました。「あなたは、いつもおがんでいるかみさまが、あな たをすくってくださるように」。よるがあけました。おうさまは、 なにもたべないで、ねむれないときをすごしました。おうさまが、 ダニエルによびかけると、「かみさまが、ライオンのくちをとざし てくださいました。かみさまはわたしがなにもわるくないことをみ とめてくださいました。おうさまにも、そむいておりません。」 イエスさまは、すべてのひとびとをおさめておられるほんとうの おうさまです。イエスさまのふくいんをつたえ、いのりましょう。 てんにおられるイエスさま、せかいのひとびとが、ふくいんのち からによって、すくわれ、あなたをさんびしますように。アーメン

2024年6月2日 子どもと親のカテキズム問90

「み名をあがめさせたまえ」では、何を祈り求めるのですか。

私たちの生活のすべてを通して神さまの栄光があらわされ、すべての人が神さまのお名前をあがめ、ほめたたえるようになることを祈り求めます。

 イエスさまとでしたちが、エルサレムにちかづいたときのことです。オリーブやまにちかい、ベトファゲにきたとき、イエスさまは、ふたりのでしをつかいにだそうといわれました。「むこうのむらへいきなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、いっしょにちいさなろばがいるのがみつかります。それをほどいて、わたしのところにひいてきなさい。もし、だれかがなにかいったら、『イエスさまがおもちいになります』といいなさい。すぐにわたしてくれます」。でしたちは、いって、イエスさまがめいじられたとおりにして、ろばとちいさなろばをひいいてきて、そのうえに、ふくをかけると、イエスさまは、おのりになりました。

 たくさんのひとびとが、じぶんのふくをみちにしいて、また、ほかのひとびとは、きのえだをきってみちにしきました。そして、ひとびとは、イエスさまのまえをいくひとも、あとにしたがうひとも、さけびました。「ホサナ、いま、すくってください、ダビデのこが、ほめたたえられますように! ただおひとりのかみさま、しゅのおなまえによって、こられたおかたに、しゅくふくがありますように!、いちばんたかいところにおられる、かみさまがほめたたえられますように!」イエスさまは、エルサレムにはいられると、まちじゅうのひとびとが、「いったい、このひとはどんなひとだ」といってさわぎました。イエスさまが、しんでんにはいると、こどもたちも、「ダビデのこに、ホサナ」といって、イエスさまをほめたたえました。さいしちょうたちや、りっぽうがくしゃたちは、いいました。「こどもたちがなんといっているか、きこえるか。」イエスさまはいいました。「たしかに、きこえます。こどもやあかちゃんのくちに、かみさまはさんびをうたわせる」との、さんびのやくそくのことばを、まだよんだことがなかったのですか。

 こどもも、おとなも、みんな、かみさまがさんびさせてくださいます。ほんとうのおうさま、イエスさまを、さんびしましょう。

ぜんのうの、てんのおとうさま、あいするひとりごイエスさまのすくいをかんしゃして、あなたのえいこうをさんびします。アーメン

 

2024年5月26日 子どもと親のカテキズム問89

「天にまします我らの父よ」という「主の祈り」の呼びかけは、私たちに何を教えますか。

私たちは、神さまの子どもです。ですから、「私たちの天のお父さま」と呼びかけて祈ります。しかも、独りぼっちではなく、神さまの家族のひとりとして、神さまの子どもたちといっしょに心を合わせて祈ります。

 

 イエスさまが、ヨルダンがわで、ヨハネからせんれいをうけられたときのことです。ひとびとも、みんなせんれいをうけ、イエスさまもせんれいをうけていのっておられると、てんがひらけ、せいれいがはとのようにめにみえるすがたで、イエスさまのうえにくだってきました。すると、「あなたはわたしのあいするこ、わたしのこころにかなうもの」というこえがてんからきこえました。

 この「あなたはわたしのあいするこ」とイエスさまをよんでくださったおかたが、てんのおとうさま、てんのかみさまです。わたしたちは、イエスさまをしんじて、てんのかみさまを、てんのおとうさまとよぶことができます。それは、わたしたちも、てんのおとうさまから、あいされているこどもだからです。ほんとうは、かみさまのひとりごは、イエスさまおひとりです。イエスさまは、わたしたちとおなじように、せいれいによってマリアにやどり、おうまれくださり、じゅうじかのあがないによって、つみをきよめて、てんにのぼってくださいました。ですから、イエスさまをしんじるひとびとは、みんな、イエスさまのめぐみによって、かみさまのこどもとされて、てんにおられるおとうさま、イエスさま、と、ほんとうのかみさまを、よんでおいのりすることができるのです。わたしたちはどんなどきでも、かみさまのかぞくです。イエスさまが、わたしたちのほんとうのおともだちです。いつも、イエスさまといっしょに、おいのりをささげましょう。

てんのおとうさま、あいするひとりごイエスさまをおあたえくださり、ありがとうございます。こころからおいのりします。アーメン

 

2024年5月19日 子どもと親のカテキズム問88

イエスさまが祈りの手本として教えてくださった「主の祈り」の内容は何ですか。

それは、神さまへの賛美、感謝、私たちの罪の赦し、願いごと、他の人たちのためのとりなしなどを含んでいます。

 

 イエスさまは、じゅうじかにかけられるまえに、ごじしんをつかわしてくださった、てんのおとうさまのもとにいこうとされていることをでしたにおはなしになりました。そして、わたしがいくと、たすけぬしを、あなたがたのところにおくることをやくそくしてくださいました。このたすけぬしは、せいれいであるかみさまです。

 そして、このせいれいであるかみさまがくると、かみさまがかなしまれる「つみ」について、かみさまのすくいのわざである「ぎ」について、また、かみさまの「さばき」について、ひとびとのまちがいをあきらかにするとおっしゃいました。

 「つみ」についてとは、ひとびとが、イエスさまをしんじないこと、「ぎ」についてとは、イエスさまが、てんのおとうさまのもとにいかれること、「さばき」についてとは、このよのしはいしゃが、つみにさだめられること、とおしえてくださいました。

 そして、たすけぬしでいます、せいれいであるかみさまは、「しんり」のれいとしてこられて、イエスさまをしんじるひとたちをみちびいて、「しんり」をよくさとらせてくださり、せいれいであるかみさまは、イエスさまに、えいえんのかがやき、えいこうをあたえてくださると、やくそくされました。

 イエスさまは、じゅうじかのうえでなしとげてくださった、あがないのめぐみを、イエスさまをしんじように、ひとびとにつげてくださいます。せいれいであるかみさまは、わたしたちが、こころからかみさまにおいのりできるように、イエスさまが、じゅうじかのうえでなしとげられたあがないのめぐみをしんじて、おいのりするようにみちびいておられます。イエスさまがやくそくされた、せいれいのみちびきをしんじて、こころからおいのりしましょう。

イエスさま、せいれいであるかみさまのめぐみを、かんしゃします。いつも、あなたのあいをよろこんでおいのりします。アーメン